夏仲梦的博客

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中国とケニア 明の名将・鄭和の艦隊難破船を共同調査 航海600年 交流アピール (

(2010-07-29 13:54:09) 下一个

中国とケニア 明の名将・鄭和の艦隊難破船を共同調査 航海600年 交流アピール (1/2ページ)

2010.7.29 23:57

 15世紀初めにアフリカまで航海したといわれる中国・明代の武将、鄭和(ていわ)の大艦隊のうち、磁器などを積み込んだ1隻が東アフリカのケニア沖に沈没している可能性が高いとして、中国とケニア両国が共同研究に仱瓿訾筏俊V泄?悉い蕖⒔??膜释庋蠛\姢握麄浃蜃拧─冗Mめており、約600年前にインド洋を横断して東アフリカまで到達した鄭和を“平和外交”の象徴として強調することで、国際社会の懸念を和らげる狙いがあるとみられている。

 ケニアからの報道によると、鄭和艦隊の難破船が沈んでいるとみられる地点はケニア沖のラム島付近。周辺海域では当時の中国製磁器が見つかり、今月下旬、中国側の考古学者11人がケニア入りした。今後、北京大学とケニア国立博物館の考古学チームが3年間の計画で調査に着手する。中国商務省が2千万元(約2億6千万円)の費用を負担するという。

 鄭和の艦隊は東南アジア、インド、アラビア半島を経てアフリカ東海岸に至り、1418年にラム島の南に位置するケニアの都市マリンディに到着したといわれる。

 報道によると、当時、難破船から多くの船員が海岸に泳ぎ着き、現地の女性と結婚。中国系アフリカ人社会が現在も残っているとされる。最近、DNA検査で中国人の血を引くと判定されたスワヒリ語系の女性(19)が、中国の経済援助を受けながら中国で伝統医学を学んでいるという。

 経済成長に必要な資源などを獲得するため、アフリカで独裁政権を支援し欧米の批判を招くことも少なくない中国だが、最近、鄭和が交易を中心とした“平和外交”を推進したと主張。その後、アフリカに到達した欧州諸国が武力を行使し、奴隷貿易まで行った負の歴史との違いを強調している。

 中国側には、航海から600周年に当たる2018年までに中国とアフリカの歴史的交流を証明し、国際社会に中国とアフリカ関係の長さをアピールする狙いがあるようだ。

 ただ、鄭和の“平和外交”には異説もある。

 鄭和関係の文書を翻訳したオーストラリアの歴史家ジェフ・ウエイド氏は、英BBC放送に「鄭和の艦隊は先端の武器を積んでおり、少なくともジャワ、スマトラ、スリランカの3カ所で武力を行使した。しかし研究は中国に委ねられているので、批判的な調査は行われていない」と話している。(ロンドン 木村正人)

     ◇

 ■鄭和の大航海

 鄭和は現在の雲南省出身のイスラム教徒。明朝の力を東南アジア諸国などに誇示するため、永楽帝の命を受け、「宝船」と呼ばれる巨大船300隻と3万人の船員を率いて、1405年から7度にわたる大航海を行った。南京を出航し、東南アジアからインド、アラビア半島、アフリカ東部に到達したという。

 コロンブスバスコ・ダ・ガマ大航海はよく知られているが、それより約1世紀前に成し遂げられた鄭和の偉業は歴史に埋もれてきた。2年前の北京五輪開会式で鄭和の大航海が紹介されるなど、中国政府は積極的にPRしている。

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