前々から時々考える。私が中国を好きな理由は何だろうと。
きっかけはたぶん、さだまさしが作ったドキュメンタリー映画、『長江』を見たことだろう。長江の源流を探るというテーマで、さだまさしが長江沿いをずっと旅する映画だった。映画の中でみた中国の壮大な景色に魅せられた。
それから、中学3年生のとき、杭州へツアーで旅行に行った。まだ皆、人民服を着ていた時代で、色のない時代。早朝、西湖沿いを散歩すると、朝もやで霞む湖畔に薄墨色の人影が三々五々浮かび上がる。ジョギングする人も、急ぎ足に出勤する人もいない。なにをするでもないただゆっくりと歩く人々。車の音ひとつしない。喧騒のない、しんとした空気。まるで掛け軸の中の水墨画に紛れ込んでしまったかのよう。本で読んだ胡蝶の夢そのものだった。
今は中国もすっかり様変わりした。水墨画の静けさから、色彩溢れる喧騒へと。私が初めて出会った頃の中国を懐かしくは思うが、今の中国もまた魅力的だ。
近頃思うのは、改革開放以来の中国は拝金主義と評されたりもするが、それすらもまた時代の一時期の潮流に過ぎず、中国の民众の根底に昔から今まで綿綿と受け継がれ続けているものとは儒教の伝統ではないかということ。マルクスも毛沢東も結局、孔子には勝てない。梃子でも動かない濃密な民众の文化がそこにある。
あれこれと考えていると、結局これは評価の問題ではなく、嗜好の問題なのだということに思い至る。じゃがいもが好きな理由や玉ねぎが嫌いな理由を説明するのは難しい。私は中国に惹かれる。ネズミがお米を好きなように。
『ねずみは米がすき』(『老鼠愛大米』日本語版)
《我喜欢中国的理由》
从前有时候我思考,我为什么喜欢中国呢?
我喜欢上中国的最开始可能是看了佐田雅志做的电影记录片“长江”。因为它是探索长江的源流为主题,佐田雅志他本人沿着长江走到峨眉山的旅行记片。我迷上了电影里的中国的壮丽的风景。
后来我初中3年级时,参加了去杭州的团体旅游。那时大家都还在穿中山服,是没有颜色的时代。清晨在西湖岸边散步,从白色的薄雾中淡墨色的三三五五的人影出现。没有人跑步,没有人匆匆忙忙要上班。人们不是在做什么的,只是慢慢地走路。汽车的声音都没有。没有嘈杂,空气很清澈。像进去了水墨画里,像从前书里看过的蝴蝶梦似的。
现在,中国变得很多。从水墨画的宁静变成色彩丰富的嘈杂。虽然我怀念第一次体验的那时候的中国,可是对我来说现在的中国也很有魅力。
最近我想,改革开放以来的中国往往被叫拜金主义的社会,但连这个也是一个时期的潮流而已,从古到今中国老百姓的骨子里绵绵继承的是不是儒教的传统?马克思或毛泽东都赢不过孔子。中国拥有一动也不动浓厚而细腻的文化。
这么想来想去,我想到了总之这不是评价的问题而是嗜好的问题。不容易说明喜欢土豆或不喜欢洋葱的理由。我就是喜欢中国,像老鼠爱大米。