2008 (142)
2009 (130)
2010 (94)
2011 (140)
以下、中山元著『フーコー入門』(ちくま新書)-第7章“実存の美学”-より抜粋(214-215頁)。
…このストアの哲学者(エピクテトス)は、動物は自然によって、生存に必要なものをすべて与えられていると考えた。世界の中で自足して生きることができるよう、神が配慮したのである。これに対して人間は、世界の中で自足して生きることがない。しかし何かが欠如しているからではなく、人間が自由に生きられるように、さまざまな能力を神から与えられたからである。
エピクテトスは、このような能力をそなえた人間は、自分の能力を気ままに行使するのではなく、自己について配慮し、陶冶することが必要であると考えた。自己に配慮することは、人間であることの特権であり、同時に責務なのである。
ローマ時代にはこの自己への配慮という技術に基づいて、性的な営みに対する制約がギリシア時代よりもはるかに厳しくなった。性的な快楽は、自己を押し流す強力な力であり、これを統御しなければならないと考えることに変わりはないが、ギリシアの時代よりも禁欲の重要性が強まった。
ローマの道徳論の重点は「激烈で、不確定で、一時的な」性の快楽を追求することを避け、自己の陶冶のうちにそれよりも安定した快楽をみいだそうとする試みにある。これは自己への配慮を、一つの美学的な価値のある生き方に作り直していく試みだとフーコーは考える。
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